いつも何気なく味わうことの多いコーヒー。毎日の1杯は欠かせない、という方も多いことでしょう。
そんなコーヒーについて詳しい歴史や起源などをご紹介。日本におけるコーヒーの歴史も解説しています。
古くから世界中で愛されてきた飲み物であるコーヒー。歴史を知ると今まで以上に味わい深く感じられるのではないでしょうか。
この記事を監修した人
SCAJコーヒーマイスター
20歳の頃にある珈琲店と出会い、それまで興味関心がなかったコーヒーの世界にのめり込む。2022年4月〜スタッフ自らがリノベーション工事をして立ち上げた古民家カフェにて、自家焙煎コーヒーを提供し今に至る。
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もくじ
とても古い歴史を持つコーヒー
コーヒーの起源はかなり古く、その発見についてはいくつもの伝説が存在しています。
3大原種のひとつであるアラビカ種はエチオピアが原産と言われていますが、アラビアであるという説もあり、明確に辿る資料は現存していません。
900年頃には文献に登場しているため、それ以前には発見されていたということなのでしょう。
はじめは実を煮たりなどして食べていたと考えられています。
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ロブスタ(カネフォラ)種は19世紀に発見された比較的新しいもの
かなり歴史のあるアラビカ種と違い、こちらもまた3大原種のひとつであるロブスタ種は1898年に確認されました。
アフリカに自生していた品種で、原産はコンゴ・ウガンダ周辺と言われています。
耐病性に富み、暑さに強く収穫量も多いことが高く評価されました。
20世紀初頭、西アフリカに続いてジャワで栽培され大きな成果を収めています。
紅茶で有名なスリランカも、もとはコーヒーの栽培が盛んでしたが、「サビ病」の発生により破壊的な打撃を受け、茶の栽培に転換しました。
病気にかかりやすいアラビカ種に代わって、東南アジアで多く作られるようになっています。
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はじめは薬のように扱われていたコーヒー豆
900年頃にアラビアの医師ラーゼスが残した医学集成が、コーヒーについて残る最も古い文献と言われています。
当時は消化を助ける・強心などの効果があるとして薬として用いられていました。
また体力の回復や眠気覚ましとしても珍重されていたようです。
コーヒーの起源にはいくつもの伝説がある
古い歴史を持つコーヒーにはさまざまな伝説や逸話が残っています。
はっきりとした起源は不明ですが、代表的とされる伝説を3つご紹介します。
エチオピアの少年カルディの伝説
エチオピアに住む羊飼いの少年カルディは、夜になっても元気なヤギたちをみて疑問に思います。
観察してみると赤い実を食べている。そして自分も試してみると、元気が湧きました。
その話を聞いた修道僧たちも赤い実を食べることで、厳しい修行に耐えられるようになり長く秘薬として扱われました。
この話はコーヒーの起源として最も知られるものですが、実は年代や土地も不詳の伝説です。
ただ、エチオピアという場所や羊飼いの少年カルディという名は、あとから脚色されたものだとか。
コーヒーや輸入食品で人気のカルディコーヒーファームは、この伝説から企業名をつけたそうですよ。
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イエメンの聖職者、シーク・オマールの伝説
現在のイエメンであるモカで伝染病が流行り、イスラム神秘主義修道者のシーク・オマールは祈祷で大勢を救います。
噂を聞いた王女も自身の病の治療に訪れ、オマールは見事王女の病を治癒させました。
王女に恋心を抱いたオマールは求婚しますが、王様の怒りを買い山に追放されることに。
食べ物を探すうちに美しい鳥が食べる赤い実を見つけます。
オマールは煮出してスープのようにして味わい、これがコーヒーの起源とされています。
罪を許され街に戻ったオマールはコーヒーとその効能を人々に広め、モカの守護聖人と呼ばれるようになったそうです。
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律法学者ゲマレディンの伝説
アラビア半島南端の都市、アデンの律法学者ゲマレディンは研究に没頭しているある日、体調を崩してしまいます。
そこで過去にエチオピアの旅路でコーヒーを飲んだときに、気分が良くなったことを思い出すのです。
もしかしたらコーヒーを飲むことで楽になるかもしれないと考えたゲマレディンは、エチオピアからコーヒーを取り寄せます。
コーヒーを飲むと元気が出て眠気もすっきり。
このことを伝えようとゲマレディンは修道士たちにこの飲み物を勧め、後に職人や商人にも広まっていったとされています。
世界中に広まっていくコーヒー
10世紀~13世紀にアラビアから中東へ
起源についてはさまざまな伝説があるコーヒーですが、6~9世紀にかけてエチオピアからイエメンに伝わったとされています。
コーヒーの実はバンと呼ばれ、医師が乾燥した実を砕き水に浸したものをバンカムという薬として患者に与えていました。
この頃はコーヒーの定義は薬だったようです。
また長らく夜間も宗教儀式を執り行う修道僧が珍重し、イスラム教寺院で門外不出の秘薬としてあつかわれました。
13世紀になって次第に一般の信者にも広まっていきます。
この頃にコーヒー豆を煎って味わうようになったようです。
13世紀~16世紀には中東からヨーロッパへ
中東で一般的に飲まれるようになったコーヒーは、煎ることで香りと風味が良くなりさらに好まれたと考えられます。
1450年頃にペルシャでコーヒー豆を焙煎し、砕いて煮出して飲むようになったと伝えられています。
煎り豆を使ったコーヒーは当時カーファと呼ばれました。
1510年にはエジプトのカイロに伝わり、コーヒーを飲んで寛ぐコーヒーハウスのような場も。
16世紀には現在のイスタンブールに最古のカフェとして知られるカフェ・ハネが誕生しています。
イスラム教寺院で重宝されイスラム圏に広まったコーヒー。
しかしコーヒーの飲用には反対意見もあり、時にはコーヒー店の襲撃など弾圧の動きもあったようです。
コーヒー飲用の反対意見は、
- コーランの教えに反しないか(宗教的問題)
- 心身に害はないのか(健康問題)
- コーヒーとカフェが社会にとって有害か(社会・政治問題)
などがありました。
16世紀以降ヨーロッパから世界各地へ広まる
インド、トルコに渡ったコーヒーは、やがてヨーロッパへ。
トルココーヒーがベネチアへ伝わったのが最初とされています。
当時のローマでは異教徒のものとして見なされ、悪魔の飲み物とさえ呼ばれていました。
しかし、時の法王クレメンス8世がこれほど美味なものを異教徒に独占させておくのは惜しいと考え、コーヒーに洗礼を施してキリスト教の飲み物と認めたという驚きの伝説まであります。
17世紀になるとイギリスでのコーヒーハウス誕生や、フランスでカフェオレが誕生するなど、ヨーロッパ全土に定着していきました。
また、記録に残る世界最古のカフェは1683年(1645年という説もあり)に開業したといわれています。
その後、18世紀半ばにかけてイタリア各地にカフェが開業し、その中にはベネチアの「フローリアン」やローマの「グレコ」など現存する名店もあります。
アメリカでは紅茶からコーヒーという流れに
現在のアメリカも良くコーヒーを飲む国というイメージがないでしょうか。
しかし初期のアメリカでは1640~1670年ごろにオランダ、イギリスから持ち込まれた紅茶が多く消費されていました。コーヒーはまだ贅沢品だったのです。
その後1683年頃にニューヨークがコーヒー豆の国際的な取引場となり、続々とコーヒーハウスが開店。
アメリカ独立や米英戦争で紅茶の供給量が減少したこともあり、コーヒーへの関心が高まりました。
独立後のアメリニカには、ハイチ・ブラジルから多くのコーヒー豆が流入し、次第に紅茶に代わって庶民の飲み物となっていったのです。
紅茶からコーヒーへと移り変わっていったボストン茶会事件
イギリスはコーヒー貿易において、オランダやフランスとの競争に敗れたことにより、紅茶貿易に転じました。
イギリスは当時植民地であったアメリカに「茶条例」を発布し輸入紅茶を独占、価格を釣り上げ、更には重税を課していました。
これに激怒したアメリカはボストンに停泊中であったイギリスの東インド会社の船を襲撃しました。これが有名な「ボストン茶会事件」です。
この事件をきっかけに、アメリカ人たちは「紅茶を飲むことは非愛郷的である」と見なすようになりました。
その結果、紅茶の消費量は徐々に減少していき、代わりとなるコーヒーへシフト。
独立戦争・西部開拓時代を経て世界最大のコーヒー消費国になりました。
日本におけるコーヒーの歴史
現在の日本は、コーヒーの消費量世界ランキングでも5位以内に入るほど。
コーヒーを愛する人が多い日本ですが、ではどのように伝わってきたのでしょうか。
日本におけるコーヒーの歴史も、世界と同じくとても興味深いですよ。
18世紀、長崎に持ち込まれた
コーヒーが日本へ伝わったのは江戸路時代と考えられています。
しかし江戸時代には鎖国をしていた日本。
異国の文化に触れることはかなり少なかったのですが、唯一国外に開かれた港である長崎県・出島に、コーヒーが伝わってきました。
ただし、当時の日本人の口にはあまり合わず受け入れられなかったようです。
また外国人と接することができるのは、通訳や商人・遊女などごく限られていたことも文化として定着しなかった要因と考えられます。
1690年頃の出島において、オランダ人が一部の日本人にコーヒーを提供したというお話もあります。
幕末期の1856年に輸入が開始される
幕末期の1856年、日本へのコーヒー輸入が開始されました。
正式に輸入されるのは1868年(明治元年)。
外国人居留地などをはじめ、西洋文化の広まりとともに徐々にコーヒーの存在かが知られていきます。
幕末期には厳寒の蝦夷地防衛に送られる藩士に、脚気や壊血病に効果があるとして支給されたという記録も残っています。
開国後・明治初期のコーヒーは上流階級のもの
開国後の1864年、横浜の外国人居留地に住む西洋人を対象としたコーヒーハウスが開店します。
また日本初となるコーヒーの宣伝広告や新聞への販売広告が出されました。
1872年に出版された日本で最初の西洋料理解説書『西洋料理指南』では「カフヒー」の名前で淹れ方などが紹介されています。
徐々に存在を知られていくコーヒーですが、まだまだ上流階級だけが親しむ飲み物でした。
日本で一般に飲まれるようになったコーヒー
次々に東京でコーヒー店が開業される
上流階級のものだったコーヒーが一般層に広まったのは、明治末期から大正にかけて。
この頃、上野に日本初のコーヒー店がオープンしています。その後、浅草・日本橋・銀座に次々とコーヒー店が誕生。
日本各地へと店舗を広げたコーヒー店の成功は地方の市場を活性化させ、どんどん大衆に親しまれていくようになりました。
カフェーパウリスタとブラジルコーヒー
コーヒーが一般へ普及する立役者となったのが、カフェーパウリスタ。
ブラジル移民政策を推進した実業家がブラジル政府から功績を顕彰され、5年間のコーヒー豆の無償給付を受けたことから1911年に日本にカフェーパウリスタを設立します。
日本各地に店舗を持ち、安価なコーヒーを提供したことから大衆間へのコーヒーの普及が推進されました。
カフェーパウリスタをきっかけに日本のコーヒー文化が一気に花開いていきます。
インスタントコーヒーが家庭での普及に一役買う
1960年に日本でインスタントコーヒーが発売されました。
コーヒーは外食するものという考えから、家庭でも楽しめるという意識に一気に変わっていったのはインスタントコーヒーに依るところが大きいのです。
手軽で便利なインスタントコーヒーは、現在でも多くの家庭で愛されていますね。
最も歴史のあるコーヒーの飲み方
煎った豆を砕いて煮出す、というのが現在のコーヒーの飲み方の源流となっています。
時代とともにさまざまなコーヒー器具が発達し、淹れ方も多様になっているコーヒー。
はじめは小鍋のようなもので煮出すというスタイルでした。
現在でもトルコなどアラビア諸国では、水とコーヒー粉を煮出して上澄みを味わう、という飲み方が一般的です。
現在でも日常的に親しまれているトルココーヒー
ヨーロッパ諸国よりも早くにコーヒーが伝わっていたトルコ。
トルココーヒーという独自の飲み方が愛されています。
イブリックと呼ばれる小鍋にコーヒー粉と水をいれて煮出し、上澄みを味わうもの。
砂糖をたっぷり加えて飲むのがスタンダードな飲み方です。
コーヒーは豆で買うからこそ、新鮮な美味しいコーヒーが味わえる。
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SCAJコーヒーマイスター
20歳の頃にある珈琲店と出会い、それまで興味関心がなかったコーヒーの世界にのめり込む。2022年4月〜スタッフ自らがリノベーション工事をして立ち上げた古民家カフェにて、自家焙煎コーヒーを提供し今に至る。
この記事を書いた人
編集部ライター・営業
コーヒーフレーバーのお菓子は見かけたら必ず買ってしまうほど大好きです。コーヒー好きの両親の影響で、中学生からドリップしていました。カフェや喫茶店はもちろんですが、子どもがいるため自宅でゆっくりとコーヒーを楽しんでいます。